14地区

読書ブログ化しそうな気配

やっと「夜と霧」を読んだ

これまでの人生で3回親しい人におすすめされましたが、どう考えてもタイトルからして怖いし、唯でさえストレス社会に生きている上にわざわざ気持ちが沈むこと間違いなしの経験を選ぶ勇気がなかったので敬遠していました。が、人生4回目のおすすめに遭遇し、今はちょっと精神的に余裕があるので読むことに。結果、とても面白かったです。

まず、私は文体がだめだと3ページで読むのを止めてしまうのですが、最初読んだところでこれは一気に最後までいける、と確信しました。これは好みの問題だけども新版翻訳者様様。結局2時間半くらいで読み切ったと思う。

何が面白かったのかというと、よく言われているらしい通り、書かれてある被収容者体験をした己自身と、その体験を分析する科学者たる自分との間の理性的かつ絶妙な距離の取り方がいちばんにある。この距離が離れているからこそ、この本はただ戦争の恐ろしさを伝える生々しい体験記にとどまらないのだし、この距離が離れすぎていないからこそ、筆者の語る人間の尊厳と愛、また人の生きる意味があの凄惨な体験から直結していることを示し、それでいて筆者は他のどんな人間とも同じ唯のひとりの人間なのだということ、ただのひとりの人間があれほどの人間性を獲得するに至った事実にただ感動することができる。

人間性とは何か、ということがこの本のメインテーマであると思うけども、私にとって本書のクライマックスは、生きる意味について筆者が語る場面。人生の意味を人は問うが、そうではなく反対に、生きていることが絶えず生きる意味の答えを突きつけられ続けることなのであって、人は運命に生きる意味を問われる客体であり、行動によって生きる意味を答えていくものである、というもの。運命に翻弄されるしかなかった大勢のちいさな人間たち、そのなかで精神を荒廃させた者、あるいは内面性を深めた者、それぞれ多くを見送った末の結論。昔、人生に意味はなく、人生は自分で意味あるものにしていくものである、ということを言った人がいて、なんとなく感動はして今も覚えているけれど、似ているなと思った。自分の人生に意味があったかどうかは、最期に自分でイエスと言い切れるかどうかにかかっている、ということですね。

 

それにしても、人は何かするのに意味がないといやだなんて、窮屈なものですねえ。いっそ動物になりたいとこれまで何度も思ったことを思い出しました。動物も意味ないことはしないでしょうが・・